2019年04月30日

ハイどうぞ

国内外の現場とスタジオ間の実況中継などを聞いているとき,時々気になってしまうのが,通信上のタイムラグが生じてしまい,互いにスムーズな会話が成立せず,やりとりのはじめに数秒間の微妙な<ま>があいてしまうこと。されど,いつものことなので気にしても始まりません。

いつごろ誰が提唱したのか,記憶が相当あやふやですが,その<ま>を少しでも縮めていこうという試みがあったような気がします。

N0867.jpg通信のズレができるのは仕方ないが,相手の話が終わったかどうかをはっきり知るため,話が終わったら互いに<ハイどうぞ>と言ってみてはどうか,これなら話の切れ目を確認するための沈黙の数秒という無駄がはぶけるではないか。

そんな内容だったでしょうか。されど,テレビの実況中継でそんなことをしているMCやレポーターは皆無。いずれ,そのうち5G(第5世代)の通信環境が整備されたら,現地とスタジオにおける数秒の沈黙は一気に解消されることでしょう。

そして,それがごく普通になってしまえば,<昔はな,時差のため司会とレポーターの間にいっつも気まずい沈黙ができてしまった。でも,それはそれで味わいあったんだけどな>としばらくは語り継がれることに。

かって,音楽媒体がターンテーブルやレコード針を必要とする大きなLP盤から,操作が楽で場所をとらないCDにとって代わられるのにさほど時間は要しなかったようです。しかるに,LP盤という存在を全く知らない世代のヤングが,レコード針をおろしたときや曲の合間なんかに時おりジジッという心地よいアナログ音が生じ,何度も聴き続けるうちに擦りきれてしまう,どこか人間臭いLP盤を改めて見直すことも。

また,昔の事務系の勤め人に必須とされたのは本来の能力以前に,ソロバンが早いこと,ていねいで読みやすい字を書けること。されど,OA化が浸透するにつれ,この能力は見向きもされなくなってしまうことに。ただ,ソロバンを習っていた人が,指だけのバーチャルでソロバン玉をはじいて計算する姿を見たり,流麗ですがすがしい文字の手紙を受け取った時には,なんだか感動を覚えるものです。

ほどほどの不便さを味わったがゆえに便利さがひとしお身にしむ,それから不便だった頃めげずに頑張ったことを少し誇らしく,また少し懐かしがったりするのは,どの世代にも共通することなのでしょう。

なので,われらジイジやバアバが,これだけ便利すぎる世に育った子は,苦労知らずゆえ絶対にタメにならん,などと言いがちですが,ヤングだって窮屈で不自由な思いをどこかでしていて何とかしたいと望んでいるのは同じこと。
だいち,そうでなかったら<進歩>という言葉はいつしか死語になってしまうはず。

2019.4.30 ひふみ
posted by Don and Mama Mind at 09:17| 諸々 | 更新情報をチェックする