2019年11月07日

判定

審判の公正を期すため,今ではチャレンジやラグビーでおなじみになったTMOなど,殆どの競技でビデオ判定が採用されています。かっては審判の判断は絶対であり,たとえグレーな部分があったとしても,怒り心頭に発した監督が猛然と抗議したとしても,審判の下した判定がくつがえることはありませんでした。

試合が終わったあとのスポーツ・ニュースなんかで,あれれやはり誤審じゃねえかよ,と判明しても,もちろん後の祭り。されど,それに対して<あのミスジャッジした審判はけしからん>と非難に出る人はまれ,<審判とて人の子,まちがえることだってあるわいな>と妙に納得してしまうことに。それゆえ,人の子である審判をいかに味方につけることができるか,というメンタルなかけひきも重要な戦略となったわけです。

話は少し変わって,
意図せぬ失言というより,むしろ本音に近い放言がもとで,来年から始まる新たな大学入試科目・英語の本質的で致命的な欠陥が白日のもとににさらされてしまい,非難ごうごうで引っ込めざるを得なくなってしまいました。

更に,所定の字数内にまとめる国語の文章題の採点の殆どが,おそらくバイトの採点者でなされるため,こんなんじゃ採点の公平性が保たれないよ,とネットで署名を集めた現役高校生たちから指摘されるまでに。

私の今のバイトがまさしく素人の添削者や採点者であるだけに,現役高校生たちが指弾する懸念はいたいほどわかります。

推定50万人の受験生の採点を一定期間で行うのであれば,かりに1人が50人分の答案を採点するとしても,1万人規模の採点者が必要です。採点者が教員経験者ならともかく,どこからか寄せ集めたバイトの採点者であれば,受験生の学力がバラバラなのと同じように,あるいはそれ以上に,その力量もバラバラなはず。

なので,採点の公平性は担保できず,有利・不利が生じてしまうという不安は絶対に解消できません。その理念や趣旨は理解できるとしても,手法という点において,まったく中途半端でいい加減なスキームを作って実行に移そうとする人たちの責任は重たいな。

大学入試制度を選抜の場としてではなく,小学校から大学に至るまで,それぞれのパーソナリティに応じた,連続する学びの場とするような,画期的なシステムを誰か本気で考えてくれない限り,こんなバカげた話が立ち消えることはなさそうですね。

2019.11.7 ひふみ
posted by Don and Mama Mind at 11:37| 諸々 | 更新情報をチェックする