2019年07月31日

ぬれぎぬ

笑えぬ笑い噺を一席。これ実話です。

家内と娘が近くの福祉センターのプールで水泳の練習をしているさなか,顔見知りの係員が少し難しそうな顔をしながら家内のほうに近寄ってきました。

声をひそめ,<あそこにいる警察の人が呼んでるみたいなんだけど,何かあったの?>と心配そうに耳打ちしたそうです。言われるままにその警官のもとへ行くと,

『実は携帯電話をなくしたとの通報があって調べている所ですが,携帯のGPSを追跡してみると,ご自宅あたりからこのセンターに向かったことがわかりました。センターに駐車している車のナンバーを照合したところ,所有するお車と一致しました。ついては,お話をおきかせ願えませんか』,とのこと。

はじめは何を言われているのか意図がわからなかったようですが,カンのよい家内は,<そういうことか!携帯をネコババした犯人と疑われておるんだな>とすぐ気づきました。猛烈にカチンときましたが気を取り直し,こうなりゃ潔白であることを証明したろやないか。

<今すぐ娘のプールバッグをここに持ってくるので気の済むまで調べてくださいな。ただし私の下着だけはご容赦願います>,もちろん携帯なんか出てくるはずはありません。それから水着の上からTシャツをはおり,<じゃあ次は私の車を見てみましょうか>と駐車した場所へ案内することに。

あばあさんとお母さんと思しき人がいたので,<あなたがお母さんですか,お子さんの番号で呼び出してみてください>,もちろん反応なし。警官は車の中をすみずみまでくまなく探してみても携帯のけの字も出てこない。<中だけじゃなく車の下もお調べになったらどうですか?>

おそらくは,自宅近辺の家と所有する車のナンバーをリストアップし,GPSの示すセンターの駐車場にリストアップした車(家内の乗っていった車)を発見したときは欣喜雀躍したはず。

これで状況証拠は全部揃ったな,ホシはここにおる,あとはブツさえ出てきたら御用だなと勇んで,やや上目線で家内を尋問していたのでしょうが,ぜんぶ空振りに終わってしまった。こまったなぁと思ってる所へ,別の警官から<またGPSが動き出しました。こことは別の場所です>,これが潔白を示す決定的な証拠に。

バツ悪そうに,<申し訳ありませんでした。気をつけてお帰りください>との謝罪があって一件落着。家内がその後,これしきのことに三人もがん首そろえた警官にイヤミの一つも言ったかどうかはわかりませんが,お母さんたちには<わたしの子が携帯をなくしたら同じようにするので,どうか気になさらないでください。はやく見つかるといいですね>と優しい言葉を。

推測ですが,私の家近くを散歩で通りがかった人が落ちていた携帯を拾い上げ,センター近辺に向かったのでしょう。どこかで一休みしてから<拾った携帯どうしようか,日も暮れることだし明日にしようか>などと思いながら,再び歩き出したのかもしれません。

もし次の日,<昨日は大変ご迷惑をおかけしました。おかげさまで拾われた方が署まで届けてくれました>,などと顛末を連絡してくれたなら,大いに見直してあげたい気もしますが,まあ望み薄でしょう,たぶん。

2019.7.31 どれみ
posted by Don and Mama Mind at 07:34| 競泳コラム | 更新情報をチェックする

2019年07月16日

連呼

選挙カーでアピールするなかで最も効果があるのは,とにかく名前を連呼すること,との分析結果が最近まことしやかに流れています。ほとんど争点の見当たらない今回の参院選や地方選など,顔も名前もよく知らない先生方を見分け選別するのは至難のわざ。N0883.JPG

もともと興味がないのに,何をもって投票の根拠とするか。それは,しつこく連呼された名前をおいて他になし。さすれば,投票所で誰を書くかと見渡し思案する時,そういえば家の周りであの名を叫んでおったな,聞き覚えがあるぞ,じゃあこいつに投票しちゃえ。そんなメカニズムらしい。

CMなんかも同じ背景があるのかもしれません。そのネーミングが繰り返されると,耳から入ってくる情報は案外頭の片隅に残ることも多いので商品選択をする際には,思いのほか影響するのかも。

CMといえば,最近どうにも気にくわないのが一つあります。化粧品のCMで,はじめにどこからどうみても冴えない,やつれきった,あきらめきった投げやりな年配の女子を登場させたあと,おなじ年配でもこんなに違うといわんばかりにハリのある肌ツヤをさりげなく見せびらかすイヤミったらしい美老女子が出てくるあのCM。

この演出方法が気に入らないのです。かって,NHKで知障のアスリートを紹介するドキュメントを幾つか見たことがありますが,これもこれと何ら変わらぬ演出をしていました。

まず最初に,どこから見てもそうだと認識できる幾人かのアスリートを映して印象づけ,しかる後にターゲットとなるアスリートを紹介します。いきなり登場させたら<どこが?>となってしまうので,苦肉の策として<残像効果>を狙った演出とせざるをえなかったのかもしれません。

当人には何の非も意識もないのに,いつの間にか引き立て役にされてしまう。演出とはいえ,ヘタをすると同じような境遇に悩んでいる人たちに対する<人格否定>につながりかねないことを,制作者は重々承知すべきです。

2019.7.16 ふぁそら
posted by Don and Mama Mind at 15:04| 競泳コラム | 更新情報をチェックする

2019年01月31日

ぼやき

ときどき息子は家内にぼやくことがあるようです。

『 あのな,おれ,どう説明したらエエのかわからへん。今度入ったパートさんなんやけど,1分が60秒で1時間が60分ってのがようわかっとらんのや。てか,時刻は分かるみたいやけど長さの感覚がまるでダメ。30分以内に片づけてとか言っても,今が11時5分なら30分以内なら11時35分までやろ,でもそれがさっぱり理解でけへんねん… 』

N0846.jpg車に娘を乗せ舞洲のプールへ移動中,息子のほうは帰宅途中で道はいつものように渋滞中,こんなときヒマつぶしによく家内のもとへ電話がかかってくるそうです。もちろんスマホを手に取り耳にあてて通話するのではなく,互いに百均で買ったイアホンをつけてのハンドフリー通話にて。

家内はあわてずさわがず落ち着いて次のようなアドバイスを。

『 例えばいま午後1時としてみ,<3時間たつまでにこの仕事終わらせて>って言わずに<4時までに終わらせよう>って言ってあげたら相手はまちがえへんで 』

時計の針がさす時刻を読めるのであれば,そこまでがどれほど長いか短いかということは分からなくても,4時という刻限だけを示せばすむということ。

かごの屋のクーポン券の期限が今日までなので昼をそこで食べることにしようということになり,そのときそんな笑い話を家内は語ってくれました。

ついでに,その話に乗じて娘のことも。娘に水泳を指導する際,さっきの話のように<4時まで>と一言いえばすむことを,<3時間たつ>というのが大事とばかりそれを何度繰り返しても娘の頭の中に入らないのと同じなんだよな。

自閉の子って,自分が受け入れることができるものは,すぐ受け入れて忘れないんだけど,受付NGのものは絶対入ってこないように自分でガードしちゃんうんだよな。どんな言葉を使ったら受入OKなのか,これを延々とさがし続けるのがわたしに課せられたライフワークかな?,としみじみ。

2019.1.31 どれみ
posted by Don and Mama Mind at 21:17| 競泳コラム | 更新情報をチェックする

2019年01月16日

唯我独尊

唯我独尊(ゆいがどくそん)とは,おおむね<自分だけが偉いんだと,ことあるごとに見せびらかす,概ねいけすかないうぬぼれ屋>のことを指すものと理解しています。

確かにちょいとデキるかもしれんが,ただそれだけやないか,それも大したことやあれへんのに何か勘ちがいしとる,どこか人を見くだすみたいな,フンっといばりくさった態度が気にくわん,と本人以外の大多数が中身を見抜いているのも知らずに,限りなくタカビーを繰り返す老若男女の嫌われ者のこと。どこにでもいるのがその特徴にて。

されど,唯我独尊とは,もとは仏教用語で,その入門サイトによれば,さにあらず。

唯我の<我>とはこの言葉を発した釈迦だけでなく,<すべての人>であり,<独尊>とは<我ら人だけが果たすことのできる尊い使命,崇高なただ一つの目的を持つ>が真の意とのこと。何らかの使命を与えられ,その実現に向け力を尽くすことのできる<オンリーワンな人の全部>を指すようです。

N0839.JPGところで,私の娘は自閉という知的障害を持って生まれてきましたが,私はこの<自閉>という言葉に,かねてより大きな違和感を持ち続けてきました。自閉には多様なパターンがあるので,それが当てはまる子もいるのでしょうが,娘を見る限り<みずから閉ざす;閉じこもる>という言葉の一般的なニュアンスがどうにも当てはまりません。

娘の自閉の特徴でもある<こだわり>とは,次に何かがないと不安になってしまい,何でもよいから次の予定を作っておかねば気がすまないこと,その裏返しで,その予定が何らかの事情で実現できないと情緒が限りなく不安定となってしまうこと。以前<スケジュール恐怖症>と名付けたことも。

なので,予定を見つけるためならば,閉じこもっていたら何も進まないので,家内や私,そして関わり合いのある人であれば誰でも糸目をつけず自ら働きかけることに。その様子は,やや落ち目になり以前のように仕事にありつけなくなったタレントが,なりふり構わずどんな仕事にも挑戦する姿に,似ていないでもないのですが,たとえどのような方向であれ,なにも飾らず必死になる姿は,感動を生みだす源。

水泳を始める前は,自分の予定が実現しないことを知るや否や,事情のいかんを問わず,<ざんねんでした>,を家内が根負けするまで繰り返していたものですが,水泳を始めしばらくたって,チームでの練習や行事,また合宿や海外遠征などを経験するうちに,ルールを守ること,そのためには自分のしたいことも我慢しなければならないこと,こんなことも徐々に身につけたようで,ごく狭いとはいえ許容範囲も広がってくることに。

それゆえ,娘に限っては,自閉よりむしろ<唯我独尊>とでも名付けたほうが適切な気がします。
もちろん,いやがられてしまうドクソン君とかユイガ嬢ではなく,本来の意<何らかの使命を与えられ,その実現に向け力を尽くすことのできるオンリーワン>のほうで。

その使命が,<なにごとであれ,はてしなく予定を追いもとめ続けること>,であったとしても充分なのです。その予定を娘がつつがなく実現できるようにするため,家内や私に残された年数がだんだん減ってはきたものの,これも大きな励みの一つゆえ,せいいっぱい頑張らねば!

1月16日 どれみ
posted by Don and Mama Mind at 13:25| 競泳コラム | 更新情報をチェックする

2018年12月16日

ツーっ!

約2か月前の10/22に右足首じん帯を損傷してしまい,それ以降ギプスやコルセットで固定され,やや不自由な生活をしいられてきた娘ですが,明日かあさって,医師の判断によってはようやく解放されることになります。

水泳の練習はもとより運動全般がNG,でも食べることまでブレーキはかけられないので,ケガする前となんら変わりのない量を食べ続けた結果は一目瞭然,2か月で5キロちかく太ってしまうことに。

N0816.jpg 来年1月の中頃には千葉で水泳の試合が予定されていますが,正月をはさんだ正味3週間程度の練習だけで元通り泳げるようになるかどうか,それはきわめてビミョーなところ。なので,泳ぐ種目はケガした部分への負担が少ないようにと,800mのフリーを一本だけにするとか。

 娘は,はたち少し前から競泳の世界に入りましたが,およそケガと名のつくものとは全く無縁で,来る日もくる日もほとんど休むことなく練習にはげんできただけに,2か月間まったく体を動かせなかったブランクがどう影響するか,まるでわかりません。

練習を再開してみたら,思いのほかしんどくなってしまい,<もーせーへん>と,かって一度も口にすることのなかった弱音をはくようなら,それはそれでよし。すずしい顔して以前にも増して頑張れたら,それもよし。

なるようにしかならないので,<結果は見ての楽しみ>,ということになりますが,もう一つ気がかりなのは,今までつきっきりで送り迎えなどの世話をしていた家内のほう。<2か月間のパラダイス>という奇貨を享受してきただけに,再開後にどうなるか,むしろこっちの方が心配ですね。<もうこんなのやってらんねー>と暴れだしたらどうしよう…

(PS) 娘のこの1年を漢字1字で表わせば,<痛>,で決まりですね。親知らず3本の抜歯(実はまだもう1本残ってる),そしてじん帯のケガ。まあその分,来年はきっと楽しい1年になることでしょう!

12/17に足首のコルセットを外すことができ,翌日福祉センタープールで泳がせたみたところ,少し痛がっている様子だとか。その次の日医師のもとを訪れ相談したところ,1月上旬の試合?ダメっ論外!と言下にNGが下されてしまいました。

12月16日 どれみ
posted by Don and Mama Mind at 19:29| 競泳コラム | 更新情報をチェックする

2018年11月16日

あとひと月

先月,誕生日の少しあと,右足首のじん帯を痛めてしまった娘ですが,ギプスははずれたものの,そこが完全復活するまでの5週間は,足首を固定するコルセットを着用しなければなりません。足首を上向きにするのはOKなのですが,下向きに動かすのは絶対NGとのこと。

なので,引き続き水泳の練習はダメ,12/17に最終診察を受け,そこで問題なければようやく解禁となるとか。コルセットをつけたまま歩くのは,まだ娘も慣れないせいもあってか,ややぎこちなく,毎日の入浴時はコルセットをはずしてもよいので家内が一緒に入いって足首を下向きにしないよう目を光らせなければなりません。

<バカな質問していいか>と前おきしたあと,<このコルセットつけたままなら練習ぐらいできそうなのでは?もちろん,医者とプールの了解が必要やけど>とおそるおそるたずねてみたら,思い切り<アホか>と一蹴されてしまいました。

おまけのダメ出しは,以下のとおり。

医者が許すわけねー。それにプールがウンというはずねー。ねむたいこと言わんとき。かりに,コルセットつけたままにして特製足かせで固定しておけば足首が上下することはありません,とねちねち説明したら医師は百歩ゆずって納得してくれるかもしれへんが,プールのほうは,衛生上の理由とか接触時のリスクなんかがあるからと首をタテにふるわけない。バンソウコはって入っただけでも速攻<はがせ>と注意されるんやで,これくらい常識で考えてもわかることやがな。

まさか,ここまできびしく言われるとは…

ただ,ちょいと疑問に思ったことは,キズの手当やヒフ病の感染防止のためバンドエイドなんかを貼ってる場合を考えたら,貼ったままの方が衛生的なのではないのかな?せっかく治りかけているのに,無理やりそこを露出させなければならないのは,本人だけでなく他人のためにもならないのでは?と。

それに,プールに入るときの常識とされるマナーやルールは多々あれど,それを守る人はよしとしても,そうでない人も結構います。原則素足で歩かなければならない常時水で塗れたプールサイドの床なんかは,足裏の湿疹などを引き起こす菌の温床。プールへ出かけたことでうつされた人も多いはずです。サンダル履きOKにしないと毎年決まって悩まされることにも。

水着とスイムキャップさえしていたら,あとはなにも問わないよという慣行は,その理由や背景を問いつめることをせずに,<それが常識だから,それが当たり前>という先入観で,何の疑問も持たずに受け入れているのかもしれません。

たくさんある慣行も,元はといえば,誰かが<こうしたら便利やで>と発見したことを誰かに吹聴し,それを聞き実行した誰かが<確かにこりゃ便利やな,理にかなってる>と実感,それを別の誰かに吹聴し,こうして次々に言い伝えられたものに違いない。それゆえ,

それがもとで壊滅的な悲劇を招いてしまったり,<せやけど,こんな不便もあるがな。こうしたほうが,なおさらエエで>という改革者が現れ,それに賛同する大多数が出てこない限り,容易に改まるものではない,というのが現実ですね。

11月16日 ひふみ
posted by Don and Mama Mind at 07:36| 競泳コラム | 更新情報をチェックする

2018年11月10日

パラレル

どのチャネルだったか忘れてしまいましたが,数分間で様々なアスリートを紹介する番組があり,その日は義足の走り幅跳び選手が登場しました。<夢は?>とたずねられると,

<東京パラで金メダルを取って,日の丸かかげ,少し前に授かった子と一緒にトラックをウィニングランしたい>と答えていました。我が子がかわいくてたまらないのでしょう。その夢が叶ったら,まさに人生最高の晴れ舞台になりますね。

パラとは今ではパラレル(平行)の意。パラの始まりは,第二次大戦のあと負傷した軍人のリハビリのため,病院に入院する数人が競技を行ったことに端を発しているようです。手術ではなくスポーツによって復帰すべしがその精神。

このパラレルとは,偶然あるいは生まれながらの不十分な境遇に敢然と立ち向かい,スポーツを通じ,健常者とは別の立ち位置から独自の誇り高い世界を構築してやるという強い<意志>のことではないかと解しています。

JPC(日本パラリンピック委員会)では,そのHPでパラ競技に4つの柱を立てています。<勇気,強い意志,インスピレーション,公平>。そして,究極の目標とは,<パラリンピックムーブメントの推進を通してインクルーシブな社会を創出すること>

<勇気,強い意志,インスピレーション>とは個々のアスリートに求められる心構え。また<公平>は,参加者と運営者双方に求められる良心であり,競技を行う上ではごく当然のこと。これをあえて提示し,ことさら詳細に説明するのは,過去の反省などもふまえ,未来永劫この大会があまねく認知され存続すること,ひいては最終目標である真の共生社会の実現を願った理念と思われます

競技によっては義足や義手,車いすなどの補助器具の着用が認められるもの,またそれがないと競技自体が成立しないものなど,さまざまあります。膂力に不足があれば,たとえば,腕のかわりに口で弓を引くことを許されるアーチェーリー競技なども。

水泳競技は,あるがままを原則とし,補助器具などの使用は認められていませんが,障がいの度合いが厳格に判定され,それに応じたきめこまかなクラス分けがなされています。競い合う姿を何度も目にしましたが,不十分なところをほかの部位で補い,巧みにバランスをとりながら真摯に泳ぐ姿は,大いに心を打つものがあります。

自分は完全無欠と自負する人が中にはいるかもしれませんが,大勢の人は自分の至らぬ所を自覚し,どうやって克服するか,克服できなければどう付き合っていくか,こんなことに悩まされ,人生の大半を費やすことになります。そして,それを克服する姿に接すると思わず勇気が湧いてくるものです。

華やかさ,視覚的なアピール,記録の衝撃などという点では,やや穏やかで地味な印象を受けてしまうこともあります。

されど,パラ競技からは,健常者の五輪とはひと味違った迫力や生きざまが伝わってきます。それぞれの視点,思いをもって,各自が楽しむことができるものと言えそうです。

11月10日 れみふぁ
posted by Don and Mama Mind at 05:58| 競泳コラム | 更新情報をチェックする

2018年11月01日

かけごえ

生徒手帳なんかを持っていた頃のこと。マラソン大会がある前などには,いっちょうまえにトレーニングをしたものです。勉強が終わったあとなどに,白いトレパン(などと今は言わないか)をはいて夜道をシロウトまるだし走法でひたすら走ることになります。

当時は車もそんなに多くはない時代。夜の街道を走るトラックの運転手さんは,<おーいボウズ,がんばれよ>,とよく声をかけてくれました。また,いいかげん疲れて歩きかけたころを見はからったかのように,ダットサンなんかの自家用車に乗ったドライバーや助手席の同乗者などが,わざわざスピードを少しゆるめ,<そこの少年よ,休んだらイカンぞ〜。元気だせよ>,などと励ましてくれたりすることも。

そんなふうに声をかけてもらうと,相手が誰だかわからなくても,なんだか妙にうれしくなって,よしッがんばってみようという気分になってきたものです。その頃は,今じゃとうてい考えられないことですが,マラソン大会も市中の往来を走るのが当たり前。<この道とあの道をこう走ってけ。道がわからなくなったら,だれかのあとをついて行けばよろし>,何ともいい加減(大らか)な指導だったことか。N0801.jpg

時を一気にかけぬけ,
水嫌いをなくそうと,近くのプールで母子(家内と娘)が見ようみまねで始めた水泳。そのなんとも危なっかしげな姿をみかねた,<水泳に覚えあり>と自負する監視員の方々が,自分の仕事もそっちのけ,<こうすんねん,そーしたらええ,みてみ,できたやないか>,などあれこれ教えまくってくれるように。

少し腕をあげてからも,ほうぼうからの<声かけられ>は絶えることなく続くことになります。おおむね親愛の情から出てくる励ましの言葉が多かったようですが,ときにマミちゃんママのように,<あんたの子と一緒だと,うちの子が軽く見えるだみゃー。なるたけあんたの子のそばにいなさいと言いきかせておるだがや>,などとあいさつがわりの憎まれ口なんかをたたかれたりすることも。

また,<教え魔>傾向ややありの家内も,娘と同じような子が一生懸命泳ぐ姿を見て,<ここ,こうしたら絶対よくなるのになぁ>,と思うことも多く,ついつい声をかけたくなってしまうらしい。されど,ふっくら体型で親しみやすい顔をしてるので,よく質問を受けることも。こんなときは速攻,的確なアドバイスをしてあげて感謝されたりすることも多いとか。

ところで,家を不在にしていた頃に配られたと思われる,<声かけ運動実施中>,と書かれたステッカー。これがいまだに近所の塀や門あたりにつりさげられています。すでに6,7年がたち,やや色あせてはきたものの,そのままに。

かっては,口さがない説教じいじ,そこまでするかの世話やきばあば,これが一人や二人どころか,そこいらじゅうにたむろしてたな。決められた単位で割り当てられた形式的なコミュニティではなく,<心を持った輪>みたいな比較的大きな心情的つながりがあったようにも。当時は,うざいこと限りなかったのに,今思うと,これは大変貴重な存在。

顔あわせたときだけ,適当に挨拶をかわし,当たりさわりない会話を二言三言,これが<声かけ運動>だとは思えませんが,冬の寒風にさむざむと鳴りわたる風鈴のごときものであっても,ないよりは少しましなのかもしれません。
今や<心かよう輪>はすでに自分の力でさがすほかなくなってしまったようですね。

11月1日 どれみ
posted by Don and Mama Mind at 16:01| 競泳コラム | 更新情報をチェックする

2018年10月26日

階級別

ボクシングや柔道などの格闘技には体重に応じたクラスが定められ,そのクラスにおけるチャンピオンがそれぞれいることになります。されど,国技である相撲に体重別のクラスはなく,牛若丸が弁慶をやっつけたように,ちいさな力士が倍ほどもあるデカい力士を投げたおせば,快哉がどっと一斉にわきおこることに。

知の格闘技ともいえる,日本一が世界一である将棋の世界も,段位や所属クラスという形式的な区分けはあっても,戦う土俵はみな同じ。デビューしたての聡太君と70代後半のヒフみんが,ハンデなしで対等に戦ったように。

知のアスリートにとって,難点のさいたるものは,加齢に伴う体力と気力の低下にほかなりません。棋戦にむけての情熱と経験値はどれほど歳を重ねようが,棋士となった若年の頃と変わることはない。でも,体がついてこない。

日本が世界に誇ることのできる数少ない知のアスリートをもう少し大事にせにゃならんのでは,と常々思っています。

知のアスリートが,<わしゃトシだから隠居だよ>とか<わかいもんにはかなわねえ>,などと弱音をはかなくてもすむように,どんなに歳をとっても存在感を示すことのできる環境を作ってあげてもよいのでは。
(まさしくジジイの妄想にほかならないのですが…)

そう,年齢別のチャンピオンを定めてあげたらよいのです。

10代,20代前半・後半〜50代前半・後半,60代以上,この10階級でそれぞれチャンピオンになれる棋戦を創設してみたら。そして最終的に<最強世代決定戦>でケリをつけることにしたら,もしかすると万が一の大逆転なども期待できるし,盛り上がることこの上なし。これなら全員がんばれる。

おそらく,将棋連盟では<バッカやろう,そんなのあり得ん,許すまじ>とあしらわれてしまいそうなので,ここは<アベマTV>にがんばってもらうしかないか。かって光り輝いた強者が若手にボロクソに負かされる姿を見るのはなんとも忍びない。されど同世代なら,なにくそって頑張れるし好勝負も期待できるはず。

どんな勝負事でも,<接戦>,であればあるほど人を惹きつけてやまず,これほど面白いものはない。陸上や水泳で最も盛り上がるのはリレー,そしてアスリートが一番好きなのもリレー。うちの娘だって,リレーが始まったら目の色が変わって思わぬ好タイムを出してしまうのです。

10月26日 どれみ
posted by Don and Mama Mind at 19:18| 競泳コラム | 更新情報をチェックする

2018年10月24日

いてて

おととい娘は右足首のじん帯を損傷してしまい,整形外科で診てもらったところ,ギプスで固定したあとコルセット着用が必要で約8週間,水泳は絶対NG,要するに年内いっぱいは水泳したらいかんぜよとの宣告が。

N0796.jpg作業所では年1回大きな行事があり,その出し物に出演するための練習をしていたとき,段差に気づかず誤って足を踏み外してしまったとか。そのままコケていたら軽くすんだかもしれないのに,なまじ体力や運動神経があるぶんグッと変にこらえてしまったことがアダになったのでは,とは家内の推測。

相当痛かったものと思われますが,その日は水泳の練習日だったので,娘はそのことに一切ふれずに舞洲へ行き着替えてプールに登場。ギャラリーから娘の様子を見た家内,<アッ,ビッコひいとる,もしや>,とすぐさまプールサイドにかけつけることに。

そして,すぐさま練習を切り上げ,ときどきお世話になることがあった整形外科医のもとへ直行。どこかひねったか,ねんざだろうと少し楽観的に思っていましたが,くだされた診断を聞いてガクゼン。

プールから引きあげる際,顔なじみの指導員の方から,<かなり痛そうに足首のあたりをなでていましたよ>,この言葉を聞いたときに事の重大さに気づくべきだったのかもしれませんね。

おまけに,次の日は医大で<おや知らずの抜歯>もある。アイタタ災害をまとめて一気に呼びこむあたりは娘らしいといえば娘らしいのですが。

ただ,クヨクヨしてても始まらないので,あとは完治に向け努力するのみ。階段の昇り降りや車に乗るときなどには肩を貸してサポートすることが必要ですが,ギプス歩行にもややなれてきたようです。
ただ以前にもまして<お姫様>状態,指図するだけで何でも思いが叶う,これが急加速することに。

でも,しゃあないわな。一方で,家内はこのゆゆしき事態を悲観しているかといえば,そのようにも見えるし,そうでないようにも。

<ケガで動けなくなる以外,この子は練習を休んだりすることはないんやろな>,と時おり冗談半分に思っていたことが,いざ現実に起きてしまった。

きっと,水泳の神様が,<この子には一途にはげむ子となるような回路を与えてあげた。されど,ここまでがんばるとは思わなんだ。ちょいと休ませてあげねばならんのう。ちょっくら痛いけど我慢しなさい>

そんなふうに配慮してくれたんだと家内は納得している様子です。

10月24日 どれみ
posted by Don and Mama Mind at 11:46| 競泳コラム | 更新情報をチェックする